おぼえがき(何で手続きってこんなにめんどうなの?)

登録自動車の保管場所(車庫)変更の届出手続き

保管場所変更の手続きが必要な場合

  • 使用の本拠の位置を変えずに、保管場所の位置を変更した場合
  • 運送事業用自動車を引き続き自家用自動車として使用する場合は、神奈川運輸支局での手続き終了後に届出

届出に必要な書類等

 自動車保管場所届出書(1通)及び保管場所標章交付申請書(2通)[3枚組1セット]

 保管場所の所在図・配置図

 保管場所使用権原疎明書面(自認書)[保管場所が自分の土地、建物の場合に使用]又は、保管場所使用承諾証明書[保管場所が他人の土地、建物の場合に使用]のいずれか一通

※駐車場賃貸借契約書(写)で、契約内容によっては承諾証明書の代わりとなる場合があります。ただし、保管場所の位置、契約期間、貸主、借主(申請者)の記名押印があるものに限ることや、車両限定の有無など、契約内容により申請する車の使用権原が認められない場合もありますので、窓口で確認ください。
※使用期間は、届出日が使用期間内であり、かつ届出日から1か月以上の使用権原を有すること。

 手数料

保管場所標章交付手数料 500円(神奈川県収入証紙による納付。)

神奈川県収入証紙販売所のご案内(神奈川県のサイト)


# by queen4jp | 2020-04-18 12:10 | 日常

突然の足の痛み ~深部静脈血栓症+肺塞栓~

2019年10月21日(木)

S総合病院-2
 担当医は「怖いことを言いますけど、驚かないでくださいね。造影CTの結果、肺にも血栓が飛んでいることがわかりました。しかし、末梢のそれほど重要でないところですので、エリキュースを飲んでいるうちに消えてなくなるでしょう。」と結果を淡々と述べられた。まさか肺まで飛んでいるとは全く思っていなかったので、結構ショックを受けたが、どうやらそんなに痛手にならなそうなことを先生がおっしゃっていた。

 本当に怖い、初めて死を意識させる病気になった。

 しかし、早期発見により、医薬品による介入でコントロールでき、何ら問題なく生活できるようになるという。病院を根性で回った甲斐があったというものだ。

 ただ、原因がわからない。肺塞栓を誘発する深部静脈血栓症は、長時間フライトや避難先などのように体を動かさないでいると発症することが多いのだそうだ。私はこの2年間で何度かアメリカ東海岸と日本を往復したが、最後に飛行機に乗ったのが6月末である。少しずつ進行していたのだろうか・・・・?とあるホームページを読んでいると近年では30~40代でも多く認められる疾患であり、長期間にわたって少しずつ血栓ができる人もいると書かれていた。今回はそのケースだろうか・・・・?謎は深まるばかりだが、世の中の病気は、解っていないことの方が多いのが現状である。

# by queen4jp | 2019-10-31 15:46 | 日常

突然の足の痛み ~深部静脈血栓症~

2019年10月6日(日)

 日曜日の朝、足に痛みがあることに気が付いた。鈍い痛みだ。
この痛みは感じたことが無い。前日、何か特別なことをしたわけでもない。
足首が固くあまり回らない。ふくろはぎに張りがあり、固い。

2019年10月7日(月)

 全く痛みは抜けていないが、出社した。このときは特に重大な病気が潜んでいるとは思っていなかった。しかし、仕事を続けているうちに立っているのが辛くなった。午後3時頃に同僚にこのことを伝えて早めに帰宅した。

2019年10月8日(火)

B整形外科
 朝起きて痛みが悪化していた。痛みの程度は、常にこむら返りをしているぐらいであり、とても辛かった。徒歩数百メートルの近所の整形外科に行くことにしたが、歩くさらに足が腫れ上がって痛くなった。
 診察して症状を伝えると先生は首をかしげるばかりだ。一応レントゲンを撮ってみたが、骨には異常は無かった。エコーで筋肉の状態を診てみたが、これも異常は無かった。このような結果は想像していた。大抵の場合、わからないことの方が多いのだ。

S血管クリニック
 私は、これが血管の病気ではないかと疑っていた。何故ならば、すねの血管が少し腫れ上がって見えるし、圧迫感も感じていた。そして何より、血管の病気であるならば、とても恐ろしいことになることは知っていた。だからその疑いを早く晴らしたかったのだ。そこで、近所で下肢静脈瘤の診断ができる医療機関を探し、S血管クリニックに向かった。
 しかし、診察の結果はとてもがっかりするものであった。右足を含めた体全体のいくつかの血圧を測定してみたが、正常値であった。つまりこの足の痛みは血管からくるものではなく、もう一度整形外科を訪ねてみては?と言い渡された。

S心臓血管クリニック
 私はまだ納得いっていなかったため、少し遠出して別の血管のクリニックを訪ねた。そこで問診・触診された結果、坐骨神経症の一種ではないかと疑われた。膝を曲げたり伸ばしたときに痛む様子・箇所が坐骨神経痛にみられる症状と類似していたためである。トラムセット配合錠をいくらか処方してもらい、今一度MRIを測定できる整形外科を訪ねては?と言われて帰宅した。
 トラムセット配合錠とは、トラマドール塩酸塩とアセトアミノフェンの合剤である。それぞれ別のメカニズムの鎮痛薬である。慢性的な疼痛の場合、その痛みのハーモニーは複数のメカニズムで止めると効果的な場合があるため、このような配合錠を処方する場合がある。このトラマドールは、通常成人は1日4回投与であるが、投与が初めての場合は1日1回から初めて少しずつ投与回数を増やしていくのだが、私の場合いきなり1日4回投与を始めてしまった。指示通り服用したが、翌日大変なことになった。
突然の足の痛み ~深部静脈血栓症~_b0022361_17244061.jpg
 トラマドール塩酸塩の化学構造式。これだけ見ると光学活性体に見えるが、実はラセミ体。3-メトキシフェニル基とジメチルアミノメチル基がtransの関係にある。私は創薬化学者であるが、個人的に塩基性の高いアミノ基がある薬はあまり飲みたくない。今回はその勘が当たることになる。

2019年10月9日(水)
 
K整形外科-1
 坐骨神経痛のいくつかの原因はMRIで突き止めることが出来るらしい。近所でMRIの測定ができる整形外科を検索し、訪ねてみた。
 非常に混雑している整形外科であった。待っている間、待合室の漫画を読んでいたが、読んでいる間に目がくるくる回ってきた。謎の足の痛みに加えて、目が回り始めては、さすがに人生これまでかと思い始めた。看護師が私を呼んで初めて私を見たとき、彼女は直ちにベッドに寝かせ、血圧を測定した。80/50の低血圧となっていた。どうやら顔が青ざめていたようだ。先生との診断の前までベッドの上で休憩させてもらえることになった。どうやらさきほど説明したトラマドール塩酸塩の副作用とのことだった。
 先生との診断のときは、今までいくつもの病院をまわった経緯を述べたが、先生は基本的な問診・触診を行った。基本に忠実なのは大好きだ。しかし、坐骨神経痛だと決めにかかっていた私の頭を揺さぶる診察の結果が述べられた。
 ふくろはぎやすね、膝の裏など様々指で押して刺激していった。仮に私が坐骨神経痛であるならば、刺激して痛みが増すのはおかしいとのことだ。8:2でこれは坐骨神経痛ではないよ、と述べられた。
 MRIは少なくとも一週間は様子を見て、痛みが引かなければ実施しましょうということになった。結局答えはわからなくなってしまった。

2019年10月10日(木)

 会社に行ってみたが、足は痛いわ、トラマドール塩酸塩の副作用でふらふらするわで、20分持たず帰宅した。

2019年10月15日(火)

K整形外科-2
 先生に言われた通り、自宅で安静にして様子を見ていたが、痛みがふくろはぎにとどまらず太ももまで痛くなってきたので、MRIは土曜日に予約していたが、電話して前倒しして測定してもらえるようお願いし、実際に当日撮ってもらえることになった。通常、結果は中3日経たないと出してもらえないとのことであったが、技師のお兄さんが私の深刻な顔を見て明日朝までにデータ解析しますよ、と言ってくれた。本当に有難かった。

2019年10月16日(水)

K整形外科-3
 翌朝病院に電話したところ、しっかりデータ解析が終わっているとのことだったので、結果を確認しに再度病院に行った。結果は、右足深部の静脈に血栓のようなものが確認されたとのことだった。今度は、S総合病院の外科に紹介状を書いてもらえることになった。

2019年10月17日(木)

S総合病院
 たとえ紹介状を持っていたとしても、予約していない患者(前日予約無理でした)は待ち時間が半端ではない。当日最早の朝7時半の受付をしたが、終わったのが夕方の4時だった。当日は、K整形外科でもらったMRIのデータをCD-ROMに入れて渡した。其のうえで簡単に問診した上で、足の付け根から鼠径部にかけて広く念入りにエコーで血栓の存在を確認した。結果は想像以上で、測定した足首から太ももの幅広い範囲の深部静脈に多くの血栓が確認された。通常、深部静脈血栓症は、怪我をしたり、エコノミークラス症候群に代表されるように、血流が遅くなるような条件下でなり易いとされているが、そのような心当たりは全くなく、先生は非常に珍しいケースだと述べられた。
 とりあえず、血液凝固因子を阻害するエリキュース錠が通常の2倍量処方された。深部静脈血栓症の恐ろしいところは、合併症の存在であり、肺塞栓症が最も気を付けなければならい。よって、造影CTを実施し、肺の血栓の存在の確認を実施中である。
 ちなみに、エリキュース錠は、別名アピキサバン (Apixaban, BMS-562247-01)で、血液凝固因子の1種であるXa因子を直接阻害する。2012年にBMS社から上市された。化学構造式は以下のようになる。構造を見ると何かと文句を付けたくなってしまうのだが、構造式上部の4-メトキシアニリン構造はとても電子豊富であり、代謝酵素により酸化を受けやすく、安全上危険な反応性代謝物になり得る。ただ、臨床試験を突破し、既に7年も使われている医薬品なので、まあ大丈夫でしょう。
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# by queen4jp | 2019-10-23 20:40 | 日常

化学を勉強することになったきっかけ-1

皆さんは、学生時代の恩師と言うと、どんな方が思いつかれますか?

小学生・中学生・高校生・大学、と分けて考えると、やはり、それぞれの時代で自分自身に影響を与えたまさに"先生"がいたこと思い出します。

小学生時代
6年生の頃だったと思いますが、あの先生は独特の雰囲気でした。いつもニコニコしているのですが、しかりつけるときは本当に迫力がありました。鋭い眼光とはっきりとした物言いで、今までの教師とは違う感覚を感じていました。道徳だったか、国語だったか失念しましたが、とある授業で、

憲法、法律、マナー、友情、愛、と後一つ忘れました。

以上、6つの中で、あなたの大事な順に並べてください。

と皆に問いかけました。私たち、児童は社会で憲法や法律について学んだばかりであり、その中では憲法が最も大事なものとされていたため、憲法を1位にする児童が多かったです。

しかし、先生の答えは、愛、でした。大人になった今では分かりますが、児童の私たちには愛と言われても中々分かりづらかったです。何を行動の基準にするのか、曖昧な私たちに、一つの指針を示してくれました。これらの捉え方は人それぞれだと思いますが、私にとっては強烈な印象を残しました。

中学生時代
この頃、私は学年の中では成績が高い方であり、少し、生意気になっていたかもしれません。今見たら殴ってやりたいぐらいですが、井の中の蛙という言葉がぴったりでした。実際には良い先生はたくさんいたと思いますが、そんな私でしたので、あまり印象に残っていません。

高校時代
とても才能あふれる学生が集まる高校でした。中学時代、成績が多少良い程度で天狗になっていた私を上手いこと突き落としてくれる意味で本当に入って良かったと思っています。ほぼ順位を下から数えたほうが早いぐらいの成績でしたので、何から勉強したら良いか分からなくなりました。

そのような状況下、担任の先生は、何か覇気の全く感じられない、頼りのない感じの先生でした。彼の担当は化学でした。淡々と話す授業で、人によってはつまらなかったかもしれません。しかし、授業の構成はとても丁寧にアレンジされたものであり、しっかり聞いていると、論理的でとても分かりやすいものでした。授業が終わった後、問題のプリント用紙を配ります。毎回です。これを次の日ぐらいまでだったか、提出すると、添削されて返ってきます。これをひたすら繰り返しました。気がついたら、私とあと何人かぐらいしかその添削問題を続けていなかったような気がします。

次の実力テストで学年6位まで上がりました。他の科目がボロボロなのに、化学だけ6位・・・・。担任の先生、恐るべしです。

高校1年生のときの私は、この結果を見て、「もう化学に賭けよう。化学1科目で入れる大学を探してそこに入ろう」と決め、進路希望の用紙にその大学名を書きました。もちろんですが、そのような選択をすると道は狭まるのは明らかです。当時の私は完全に自信を失っていたのです。

しかし、あの全く覇気の感じられない先生から呼び出しを受けました。今でも覚えています。

「進路希望を書き直せ」

と。普段は寡黙で、物言いの強くない先生が、このときは少し怒っているように私は感じました。逃げ腰の私を見て、失望していたのでしょう。言葉数は少ないですが、私は、そこに何か感じるものがあったのは覚えています。

それから、2年後、私は大学受験を向かえ、なんとか乗り切りました。化学1教科に頼みなのは、相変わらずでしたが、全体を強化しないと乗り切れないところをなんとか乗り切りました。

1年生のときの、あの先生との出会いが無ければ、今は無いだろうと本当に思います。
きっと今、この仕事をしていなかっただろうと思います。

すべては、あの先生との、あの添削問題のやり取りから始まったのです。

# by queen4jp | 2018-12-17 09:50 | 化学

渡米

2018年1月4日、アメリカJFK空港行きの便に乗って単身日本を発った。

正月は妻の大阪の実家に滞在し、今後しばらくできない家族団欒の日々を過ごした。大阪伊丹から成田に乗り継いだのだが、伊丹では少し涙目になった。あの可愛い子供たちと妻に当分会えないのだ。

会社の公募になんとか合格し、2018年1月から2019年の6月までの18ヶ月間、私はYale大学のとある研究室にお世話になることになった。

航空機内で隣のアメリカ人の青年が話しかけてくれたが、あまり何を言っているか聞き取れなかったが、色々教えてくれた。私がYaleに行くのだ、と言うと、とてもいいところだと、俺のおじさんもYaleにいたんだよ、と。

このとき、アメリカは”爆弾低気圧”と呼ばれるほどの超低気圧による悪天候であった。JFK空港は、大雪によって閉鎖されているのであった。飛行機は航路を変更し、シカゴに着陸した。シカゴ空港も似た境遇の飛行機でいっぱいであり、混乱を極める中、入国手続きを終え、ヘトヘトになりながらホテルに到着したのを覚えている。

次の日、再びJFK行きの飛行機に乗ろうとしたところ、何度も出発時刻が変更され、やっと乗れた!やっとニューヨークに着いた!と思ったら荷物を受け取るまでに6時間以上を越える大混乱であった。徹夜状態でそのまま、マンハッタン~ニューへイブンと電車で乗り継ぎ、ホテルに着いたときにはボロボロだった。

# by queen4jp | 2018-02-05 02:21 | 海外留学